2024年11月27日水曜日

幼保小の接続問題、通知表廃止した香川小で新たな実践「スタートカリキュラム」学習指導要領の目標・内容とのひも付けは?

幼保小の接続問題、通知表廃止した香川小で新たな実践「スタートカリキュラム」
小1プロブレム解決?、「通知表ない」香川小の実践
education特集

幼保小の接続問題、通知表廃止した香川小で新たな実践「スタートカリキュラム」学習指導要領の目標・内容とのひも付けは?

通知表をなくしたことで知られる神奈川県茅ヶ崎市立香川小。2022〜23年度の2年間、同校で1年生の担任をつとめた山田剛輔氏は、クラス独自でオリジナルの「スタートカリキュラム」を実施。時間割という枠をあえてつくらず、毎朝子どもたちに「今日は何したい?」と聞きながら日々の教育活動を行った。幼保小の接続、いわゆる小1プロブレムなどの観点から、真の意味で子どもの学びにつながるスタートカリキュラムや授業のあり方とは。山田氏に取材した。

2024/11/24
東洋経済education × ICT編集部

「子どもたちと時間割をつくる」という発想

──小学校へ入学した子どもが、園などの遊びや生活を通した学びと育ちを基礎として主体的に自己を発揮し、楽しい学校生活を創り出していくための「スタートカリキュラム」。文部科学省国立教育政策研究所の事例集などがある中、あえて「時間割から子どもと一緒につくる」という独自の実践を行った理由について教えてください。

2022年、10年ぶりに1年生の担任になりました。幼児教育では、「ひと・もの・こと」との関わり中で、遊びを通して学び育つことが大切にされていますが、小学校の授業で子どもたちが出会う「ひと・もの・こと」は、教員が準備したものがほとんどで、幼保小接続に課題を感じていました。

そこで、文部科学省国立教育政策研究所の「スタートカリキュラムスタートブック」を参考にして学習の予定をつくり、同じ学年の先生に提案して授業を実施しようと準備していました。しかし、1年生担任としてどのように授業実践していくのか改めて考えたとき、疑問がわきあがりました。スタートカリキュラムは、もともと、子どもたちが乳幼児期に遊びを通して学んできたことを生かし、主体的に自己を発揮してよりよい生活を「自分たちで創っていく」ものです。

スタートブックに書かれていることを形式的に行っても、「入学直後の子どもたちを、段階的に小学校文化に染めていく」だけにとどまってしまうのではないか、スタートカリキュラムにいちばん大切な「クリエイティビティ」に欠けるのではないかと思ったのです。幼保小接続の観点から、真の意味で子どもの学びにつながるスタートカリキュラムにしていきたいと考え、思い切って、子どもたちの声を聞きながら時間割をつくり、活動していく取り組みを始めました。

──「子どもたちと時間割をつくる」という実践は、どのように生まれたのでしょうか。

すでに、子どもたちと時間割をつくる取り組みを行っている他校の実践も知識としてありました。それらを参考にしたというよりも、「小学校ってどんなところなのかな」など期待や希望を抱いて入学してきた子どもたちに「学校でどんなことしたい?」と聞くと、「校庭で遊びたい」「学校の中を回ってみたい」など、いろいろな声があがるんですよね。

子どもたちからの「やりたい!」を出発点として活動を展開したり、子どもたちに出会わせたいものを引き出すための投げかけに対する声をひろって新しい活動をスタートしたりすることなどにより、自然と「子どもたちと時間割をつくる」形になりました。

前期は、「かず」「ひらがな」「こうさく」など活動名を黒板に書き、それをもとにしながら「今日はどんな活動がしたい?」と語りかけながら、毎日の時間割を決めて学習活動に取り組みました。後期は、子どもたちのやりたい活動が多くなり、1日ごとに時間割を組むのが難しくなったため、月曜の朝に1週間分の時間割を子どもたちと話し合いながら決めました。

「学校探検したい!」から始まった「教室表示プロジェクト」

──入学直後の子どもたちから「やりたい!」と声があがった「学校探検」を行ううち、教室表示が漢字で書かれていて何の教室かわからないから、ひらがなを学習しながら教室の看板をつくって掲示しよう! と「教室表示プロジェクト」を行ったそうですね。

スタートカリキュラムの実践で大切にしていたのは、子どもたちが日々の生活を豊かに過ごしていく中に、学習内容が埋め込まれていくように活動することです。それが、本当の意味での「深い学び」につながるのではないかと。

1年生は国語科でひらがなを学びますが、ただ黙々と練習帳に書いて覚えさせるのではなく、「子どもたちがひらがなを学びたくなる、そして書きたくなる必然性が生じるのはどんなときか」を考えました。本校には、歴代の卒業生が木を彫ってつくった教室表示があるのですが、「図工室」「給食場」などすべて漢字なのです。これを、1年生でも読めるよう、ひらがなバージョンでつくるプロジェクト学習にするのはどうかと思いつきました。

そこで、入学直後の子どもたちから「学校探検したい」という声があがり、実際に学校探検しているときに、「教室表示を、1年生でも読めるようにひらがなでつくってみない?」と、子どもたちに提案したのです。子どもたちは「やりたい! いえーい!」と大喜びでした。

──ひらがなによる教室表示をつくるために、ひらがなの学習が始まったのですね。その後プロジェクトはどのように発展していったのでしょうか。

「教室表示をつくる」というモチベーションがあるため、子どもたちがひらがな学習に向かう姿勢は真剣そのものでした。特別教室の名前の語尾に「室」(しつ)がついていることに気づいた子どもたちからの提案で、ひらがな学習は「し」「つ」から始まりました。「教室表示プロジェクト」は、前期は「生活科」と「国語科」のひらがな学習、後期は算数科も加わり、子どもたちが切った木の数を数える活動を通して「20よりも大きい数の学習」を行いました。

ひらがなで教室表示をつくるプロジェクトの様子

さらに、教室表示が完成したあと、校長先生に教室表示を飾っていいか相談したり、全校児童に教室表示をつくったことを伝えるためにチラシやポスターをつくったり、校内放送で告知したりもしました。

完成した教室表示
(写真:長島氏撮影)

子どもたちは、ひらがなや数を学びながら教室表示を皆で力を合わせてつくり、全校児童に自分たちの取り組みを知ってもらうことで、充実感や一体感、クラスへの所属感などを体感し、大きく成長できたと思います。

年度が変わり、新1年生が教室表示のひらがなを読んでわかる様子を2年生になった子どもたちに伝えると、とても喜んでいました。誰かのためにしていることが、自分のためにもなっている。このような学びを積み重ねることが、より豊かに生きる意欲につながるのではないでしょうか。

──ほかに、どのような時間割を子どもたちとつくり、実践したのでしょうか。

本校の敷地に、桜やイチョウなどの木が生い茂る「香川の森」があります。生活科や図画工作科で自然物を使う活動を秋の時期に行っているのですが、授業で使われなかった落ち葉が燃えるゴミとして捨てられていたため、子どもたちと腐葉土づくりができないかと考えました。

春の花を栽培するために「香川の森」にある土を植木鉢に入れる際、子どもたちから出た「落ち葉もいっしょに入っちゃうけどいいの?」という質問に「葉っぱは土になるから大丈夫だよ」と答え、「落ち葉が土になるか、実験してみる?」と提案。子どもたちから「うん、やるやる!」と声があがり、「腐葉土プロジェクト」に取り組みました。

また、冬のいちばん寒い時期に、氷に色を塗って創作活動できたらと思い、子どもたちと、家庭科室のたらい20個に水をため、葉や花などを入れて毎日観察しました。

腐葉土プロジェクトに取り組む様子(写真左)と、氷を使った活動の様子(写真右)

ある日ついに氷ができ、子どもたちは大喜び。その日の時間割はほかの活動の予定だったのですが、「今すぐ氷を使って活動したい」という子どもたちの思いを感じ、時間割を変更して氷遊びの時間に。皆でたらいからそっと氷を取り出し、絵の具で氷に色をのせ、「氷のアート」を楽しみました。これらは私の実践のほんの一部です。

山田剛輔(やまだ・ごうすけ)
茅ヶ崎市立香川小学校総括教諭
2005年より教員になり、2024年で20年目。2018年から香川小に勤務。2024年9月、1年生を担任して2022年度の1年間の実践をまとめた『時間割から子どもと一緒につくることにしてみた。』(学事出版/共著)を出版。神奈川県「第1回いのちの授業大賞」優秀賞受賞。教育研究会「根源」主宰。「ちがさきスポーツサポーターズフェライン(一社)」理事
(写真:長島氏撮影)

保護者もよい形で巻き込み、共に学ぶ

──このような実践について、保護者への理解や協力はどのようにして得られたのでしょうか。

Google Classroomを活用し、私自身の授業観や子どもたちの学校生活を写真と文章で毎日のように伝えました。保護者の方からは、「子どもと一緒に学校に行っているようです」という声をいただいたり、活動のときに学校に足を運んで協力していただいた方からは、「子どもの成長を間近で見られて安心します」といった声が届きました。保護者の方から理解や協力を得るには、教員からのこまめな発信が大切だと思います。

保護者には、Google Classroomを活用して授業観や子どもたちの学校生活を写真と文章で毎日のように伝えた

コロナ禍以降は、保護者の皆さんとよりいっそう連携し、子どもたちの成長を一緒に見守る機会が増えました。活動に参加できない保護者の方は、家庭で子どもからの相談にのったり、材料を準備したりなど、さまざまな形で子どもたちの成長を支えてくださいました。

「子どもとつくる時間割」を実現することは、子どもたちのやりたい気持ちをかなえるためだけでなく、保護者もよい形で巻き込み、「共に学ぶ」ことにつながると思います。

──幼児教育のプロフェッショナルの方の伴走もあったそうですね。

2017年、横浜国立大学の教職大学院1期生として学んでいたとき、幼児教育にも関心があったので、知り合いの私立幼稚園を訪れた際に、久保寺節子先生という副園長先生と出会いました。私自身のそれまでの実践は、公益社団法人信濃教育会教育研究所所長・東京大学名誉教授の佐伯胖(ゆたか)先生の理論を参考にしており、その話をしたら、久保寺先生は学生時代、佐伯先生のゼミ生だったことがわかり、意気投合したのです。

ネットニュースによる本校の通知表廃止についての配信をきっかけに再会し、久保寺先生は年間50回以上、私の授業に足を運んでくださいました。久保寺先生は、ただ単に「こうすべきだ」と指示するのではなく、「これはどうでしょうか?」と問いかけたり、「山田先生の実践はここがユニークですね」と具体的な例を挙げ、自身の教育の特色を気づかせてくれました。

授業研究のように硬い雰囲気ではなく、子どもたちの日常を自然に見てもらうことができ、非常に意義のある経験となりました。

学習指導要領へのひもづけと評価

──興味深い実践の数々ですが、学習指導要領の目標と内容を満たすことはできるのでしょうか。

私がさまざまな実践をつくるときの基にしているのは、学習指導要領の目標と内容、教科書の内容です。ただし、教科書の内容を見ながら教材研究するわけではなく、先ほど申し上げたように「子どもにとってどのような状況のときに、その内容を学ぶ必要性や必然性が生まれるのか」を考え、プロジェクト活動をはじめさまざまな活動に教科の学習内容を埋め込む形でデザインしています。ですから、これまでお話ししてきた実践はすべて教科の学習内容とひもづいており、学習指導要領の目標と内容を満たしています。

──活動のアイデアが浮かばないときは、どのような授業をされているのですか? また、授業時数はどのように調整しているのでしょうか。

活動のアイデアが浮かばないときは、子どもたちが楽しく学べるような工夫をしています。例えば、算数の「なんばんめ」の実践では、5つの紙コップに2つのサイコロを入れ、どこに入っているのかを当てるゲームをしながら「右(左)から何番目」などの理解を深めていきました。

授業時数については、学習指導要領で示されている各教科の時数の1週あたりの目安を子どもたちに伝えたうえで対話しながら時間割を決めていきます。ときと場合に応じて何を学ぶか未定の「?」の時間をつくり、子どもたちを意図的に学びに誘ったりしながら調整しています。

──評価はどのように行っているのでしょうか。

ご存じの方も多いと思いますが、香川小では学校全体で議論した結果、2020年度から通知表を廃止しました。通知表の代わりになるようなものを準備するという発想ではなく、各担任の裁量により、日常的に子どもの生活と学習の様子をさまざまな機会とツールで伝えたり、面談を通して保護者に日々の学校での様子を伝えたり、家庭でも子どもとの関わりを大切にしていってもらえるようにしています。

これまで通知表を作成するために割かれていた膨大な時間を、子どもたちの成長を見取ったり、授業づくりをしたりする時間に使われるようになり、「結果」だけでなく、子どもを一人の人間として日常的に見取り、プロセスを伝える日常的な評価=形成的評価を大切にしています。プロセスを伝えるという意味では、学習の成果物をファイリングして保護者に見てもらっています。成果物には、ABCなどとラベリングをしたり、「もっとよく見て書きましょう」などと「指導」したりするのではなく、「アサガオのたねがくぼんでいるところをよくみているね」など、「認める・共感する」言葉で伝えるようにしています。

──現在の学校教育における「評価」について、山田先生はどのようにお感じでしょうか。

予測不可能な時代を生きる子どもたちには、コンピテンシー(資質・能力)が求められています。しかし、多くの学校では、3つの観点(①知識・技能、②思考・判断・表現、③主体的に学習に取り組む態度)を個別に評価しており、それぞれの観点がどのように結びついて、実際の課題解決に活かされているのかが見えにくいという課題があるように感じます。

本来は、知識を学び、それを活用して問題解決に取り組み、うまくいかないときには自己調整しながらやり直すという一連の過程を総合的に評価するべきなのではないでしょうか。テストの結果や知識の量だけでなく、知識をどう使い、自分がどう成長していくかという「学びに向かう力」を評価することにシフトしていくべきなのではないかと思います。

「学ぶとは何か」「子どもたちが遊ぶとは何か」

──1年生の担任を2年間務められた後、現在はどの学年の担任をなさっているのですか?

2024年4月から、4年生の担任になりました。スタートカリキュラムとは異なりますが、1年生の担任のときと同様に、プロジェクト学習ベースで、子どもたちの「やりたい!」の声を聞きながら毎週時間割をつくり、活動しています。

──学年があがっても、子どもたちと時間割をつくりながら活動することができるのですね。

学校のことをいろいろ知っている4年生なので、1年生のように純粋に響きにくい部分もありますが、ある程度私のほうから仕掛けながら、子どもたちの学びに向かう気持ちを後押ししています。

例えば、学校でケガをする子が多いので、保健室でまとめた情報を子どもたちに伝えたところ、算数の「表とグラフ」の単元とひもづけて表やグラフ化して「ケガをなくそうプロジェクト」として校内に呼びかけました。

また、総合学習で、地元の商店街を活性化することを目的に「香川商店街プロジェクト」に取り組んでいるのですが、その中の1つ「植物プロジェクト」で、学校の敷地に長方形の畑を作り、畑の囲いとして廃棄予定だった児童用机の天板を取り外して使用することになりました。

囲いの周囲の長さを測り、その長さに対して縦に並べる場合と横に並べる場合で、それぞれ何個の天板が必要かを計算する過程は、算数の2ケタ×2ケタのかけ算やわり算につながります。4年生なら4年生なりに「子どもたちと時間割をつくる」ことができることを実感しています。

香川商店街プロジェクトに取り組む様子

──「スタートカリキュラム」による幼保小接続だけでなく、学び全般には連続性があるのですよね。

久保寺先生がいつもおっしゃっているように、子どもたちが0歳から18歳まで成長していく過程で、学ぶことは、切れ目なく1つにつながっているんですよね。

小学校の学習内容は、身近な生活に落とし込める要素がたくさんあります。教員自身が「学ぶとは何か」「子どもたちが遊ぶとは何か」といった根本的な問いを持ち続けながら、子どもたちが今を楽しく生きることに誘い、仲間と対話を重ねながらよりよい学校をつくっていこうと取り組み、「だれかの役に立った」と実感することを重ねていくことが、子どもの学ぶ意欲につながり、今を楽しく生きることにつながるのではないでしょうか。

(企画・文:長島ともこ、注記のない写真:すべて山田氏提供)


https://toyokeizai.net/articles/-/838330

2024年11月20日水曜日

女性だけ複数のセックスパートナーを持てる…男性に何も期待しない「一妻多夫制の女系部族」のたどった末路


女性だけ複数のセックスパートナーを持てる…男性に何も期待しない「一妻多夫制の女系部族」のたどった末路 オランダ人旅行者は「東洋で一番みだらな国」と呼んだが…
写真=Klein & Pearl Studio, Madras/南カリフォルニア大学デジタル図書館/PD India/Wikimedia Commons

女性だけ複数のセックスパートナーを持てる…男性に何も期待しない「一妻多夫制の女系部族」のたどった末路

オランダ人旅行者は「東洋で一番みだらな国」と呼んだが…

PRESIDENT Online2024/11/14 18:00
かつてインドに女性が実権を握った社会があった。南部ケララ州のナヤール族では、息子よりも娘が大切にされ、女性は複数の男性と性的な関係をもつ自由があった。その部族はいまどうなったのか。科学ジャーナリストのアンジェラ・サイニーさんの著書『家父長制の起源』(集英社シリーズ・コモン)の一部を紹介する――。
目次

インド、ケララ州の「他とは違うところ」

1968年7月のモンスーンが吹く朝、ロビン・ジェフリーは、インドのケララ州をバスで旅していた。現在はインドの現代史と政治学を専門に研究するジェフリーは、当時はインド北部のパンジャブ州で、教師として働いていた。

ケララの気候は湿度が高く、しばらくすると、バスの車内は蒸し風呂のような暑さになった。そこで、彼は最初のバス停で、換気をしようと窓の防水カーテンを開けた。

インドのケララ
写真=iStock.com/f9photos
※写真はイメージです

ふと気づくと、数メートル先のベランダで、白い服を着た老女が、汗もかかずに気持ちよさそうに座っている。彼女は分厚い眼鏡をかけて、何かを熱心に覗き込んでいる。片方の脚に立てかけた朝刊を読んでいるのがわかった。

その瞬間のことは非常に印象的だったので、今でもよく覚えているという。「心にしっかり焼きついています」とジェフリーは言った。彼にとって、少なくともパンジャブ州では、人前で現地語の新聞を読んでいる人を見かけるのは珍しかった。


女性が一人で出歩くことができ、識字率も高い

インド全土の識字率は、当時の世界の多くの国々と同じく低く、女性の識字率はさらに低かった。老眼鏡をもっている人はめったにいなかった。ところが、この女性はのんびりと新聞を読んでいた。

「想像もしない光景だったので、今でも絵のように鮮やかに思い浮かびます」とジェフリーは語ってくれた。

インドの成人の識字率は、現在では人口のほぼ4分の3と、当時と比べてはるかに高いものの、多くの州では依然として男女格差が目立つ。だがケララでは、記録で見るかぎり、女性の識字率は男性とほぼ同じだ。現在は95パーセントを超えている。

草木に覆われたインド南西部の海岸沿いにあるケララ州は、女性が一人で出かけたり、比較的安全に心配なく通りを歩いたりできることで有名だ。

これは決してささいなことではない。私は活気に満ちた、埃っぽい首都ニューデリーのインド系時事雑誌社で初めて職に就いたとき、夜は友人や親戚と一緒でなければ外出すべきではないとすぐに学んだ。女性や少女に対してあからさまな蔑視の態度が見られ、それに対して、女性は現実的な対策を取るしかなかったからだ。

一方で、ケララは、男女の役割が逆転し、昔から女性が支配権を握り、息子よりも娘が大切にされる場所として、伝説のように語られていた。



男女平等の道筋を作ったナヤール族

現在も、ケララは外部の人々から母権社会だと言われることが多い。実際には、ほかの地域と同じように、ミソジニー(女性嫌悪)の考え方や虐待が存在し、決して女性がすべての権力を握っているわけではない。まして低いカーストの女性たちには力はない。

だが、この伝説にはいくらか真実も含まれている。この州の男女平等に関する記録の少なくとも一部は、古くから続くナヤール族に起因している。ナヤール族は、かつてこの地域の一部を支配していた、カーストに基づく有力なコミュニティで、父系ではなく母系で先祖までたどれるように組織されている。

彼らは例外として扱われることが多いが、母系の傾向が見られる社会はアジアや南北アメリカ大陸に点在し、アフリカ中部には幅広い「母系地帯」が広がっている。母系的な社会が非常に珍しいのはヨーロッパだけなのだ。

母系だからといって、女性が優遇されるとか、男性が権力や権威のある立場に就かないというわけではないが、社会が母系的であるかどうかは、ジェンダーについてどう考えるかをある程度示している。端的に言えば、母系社会では女性の先祖が重要で、女の子が家族のなかで重要な立場にあると子どもたちに伝えることになるからだ。

また、女性の地位や女性がどれだけの財産や不動産を相続できるかも、母系社会なのかどうかによって決まる。

マラバール出身のネイヤーの女の子
マラバール出身のナヤールの女の子(写真=Klein & Pearl Studio, Madras/南カリフォルニア大学デジタル図書館/PD India/Wikimedia Commons

母系社会の女性は家庭内暴力を受ける経験が少ない

2020年、カリフォルニア大学サンディエゴ校の経済学者サラ・ロウズは、コンゴ民主共和国のカナンガで、アフリカの母系地帯に沿った都市部に暮らす600人以上を対象に調査を行い、その回答と国全体で行われた人口調査や健康調査を比べた結果を発表した。その結果、「母系社会の女性たちは、意思決定の自主性が高く、家庭内暴力への容認が低く、さらに重要なことに、家庭内暴力を受けた経験が少ない」ことが明らかになった。

また、母系社会の女性の子どもは、そうでない子どもに比べて、調査が行われた前月に病気にかかった割合が低く、平均して半年ほど長く教育を受けていたこともわかった。

研究者らの推定によると、世界のほぼ70パーセントの社会が父方居住だという。つまり、父親の家族と同居する傾向にあるということだ。



父親は自分の子どもではなく、姉妹の子どもの世話をする

一生を通じて母親の家族と同居や近居をする母方居住は、母系制と密接に関係していることが多い。そして、こうした母方居住の社会の少なくとも一部は、数千年も前から存在していたと考えられている。

2009年、何人かの生物学者と人類学者が科学雑誌『プロシーディングズ・オブ・ザ・ロイヤル・ソサエティB』に寄稿し、このことを証明した。遺伝学的証拠と文化的データや家系図を使って、たとえば太平洋地域の母系コミュニティの起源が5000年もさかのぼる可能性があることを、彼らは明らかにした。

当時と生活習慣は変化していても、母系制と母方居住という「スタイル」は、その地域の人たちのあいだに現在も息づいていた。

ジャーナリストのマドハヴァン・クティは、1991年に現地語のマラヤーラム語で執筆した回顧録のなかで、自身が生まれ育ったケララの母系社会の日常を詳しく描いている。この回顧録はのちに『かつての村(The Village Before Time)』という題名で英語に翻訳された。

ナヤール族では、結婚すると小さな核家族に分かれるのではなく、数十人規模の大きな母系大家族(タラヴァード)で一緒に暮らしていた。全員が一人の女性を祖先にもつ大家族だった。

兄弟姉妹は一生、一つ屋根の下に暮らした。女性は複数の性的パートナーをもつことを認められ、必ずしも性的パートナーと一緒に暮らしていなかった。つまり、父親は子育てで大きな役割を期待されておらず、むしろ自分の姉妹の子どもを育てる手伝いをしていた。

女性の性的権利は男性と同等だった

巨大な母系大家族(タラヴァード)に生まれたクティは、彼の家の家系図には娘だけが記されていたと述べている。

首飾りと傘を持った胸元を露出したナヤールの少女
首飾りと傘を持った胸元を露出したナヤールの少女(写真=Somerset Playne Nicholas & Co./PD US expired/Wikimedia Commons

クティの祖母、カルティヤヤニ・アンマはやがて、一家の家長になった。現地の習慣に従って、彼女は乳房を隠そうとはしなかった。「彼女の深い意識の底には、豊かな歴史が刻まれていた……この大家族の女家長は、不屈の精神と知性をもち、女性の自由について深く憂慮していた」という。

ナヤール族は、小さな取るに足らないコミュニティではなかった。社会的地位への関心が高いこのインドという国で、ナヤール族は高い地位を築いていた。

ケララ生まれの作家であるマニュ・ピライは、20世紀の中頃まで200年以上にわたってケララ南部に広がっていたトラヴァンコール王国の歴史を追い、「ナヤールの女性は、生まれた家に一生を通じて守られ、夫には依存しなかった」と著書『象牙の玉座(The Ivory of Throne)』で書いている。「彼女たちは夫を亡くしても、悲惨な状況にはならない。性的権利は男性と事実上同等で、女性たちは自分の身体を完全にコントロールできていた」。



外部からの評価は「みだらな国」「感激した」

もちろん、内部の人たちにとって、これは世代を超えて続いてきた家族の生活であり、まったく驚くようなことではなかった。

だが、ヨーロッパから来た人たちは、ケララのナヤール族に出会って驚愕した。目の前の現実に驚いたというだけでなく、彼らが「普通」だと思っていた社会がひっくり返るかもしれないという創造的な可能性に、強い興味を抱いたのだった。

だが、ジャワハルラール・ネルー大学の女性学の研究者であり、ケララ歴史研究評議会の理事であるG・アルニマによると、憤慨した人もいたという。17世紀に、あるオランダ人旅行者は、ナヤールを「すべての東洋諸国のなかで最も好色でみだらな国」と書いている。

一方で、感激した人もいた。18世紀の末頃に、イギリスの若い小説家で奴隷所有者の息子だったジェームズ・ヘンリー・ローレンスは、『ナヤールの帝国(The Empire of the Nairs)』という恋愛小説を出版した。そして、ケララの例を挙げて、ヨーロッパの女性たちにも高い教育を受けさせ、複数の恋人を認めるべきだと主張した。結婚制度の廃止も訴えた。


学者たちが頭をひねった「母系の謎」

しかし、どちらの反応を取ろうとも、外部の人たちはたいていナヤール族を変わった人々とみなし、父系制こそが普通の生き方だという考えを示した。母系社会は「野蛮」で「不自然」だと言われた。解明しなければならない存在だった。

今日でも、欧米の研究者は、戸惑いと驚きが入り交じった気持ちで母系制を論じている。最近の人類学の論文にも、母系制は矛盾であり、本質的に不安定な状態だと書かれている。

ケララのナヤール族のような社会を研究する学者たちは、70年ものあいだ、「母系の謎」という言葉を使ってきた。なぜ父親は自分の子どもではなく、甥や姪の世話に時間とエネルギーを注ぐのか。なぜ夫である男性は、自分の子どもや妻に対して義理の兄が影響力をもつのを許すのか。なぜ男たちは何世紀ものあいだ、変化を起こそうともせず我慢できたのか。



外部からの影響を受け始めたナヤール族

ケララに変化が訪れたのは、19世紀のことだった。それは皮肉なことに、好奇心をそそられつつも苦々しく感じていた外部の人たちの考え方によるところが大きかった。

この地域を占領したイギリスの入植者らは、現地人のキリスト教への改宗を目指す宣教師らとともに、母系制を守るケララの人々に対して、ヴィクトリア時代のジェンダー規範に従うよう強制した。

「植民地主義は、現地人よりも心理的に優位に立とうとするあまり、支配国の道徳的な優位性をさりげなく、あるいは少々あからさまに主張せざるをえなかったようだ」と歴史家のウマ・チャクラヴァルティは書いている。

もともと、母系大家族(タラヴァード)のなかで年長の男性は、家族内の女性と権力を分かち合っていたが、19世紀のあいだにそうした状況は徐々に変わっていった。状況や年齢によって違いはあるものの、男性は単独で、揺るぎない権力を握るようになる。


植民地時代の裁判の判決は、母系社会を「文明化」することを意識していたため、母系大家族(タラヴァード)で最年長の男性の地位を引き上げようとした。それに伴い、家庭内の紛争が相次いだ。

1855年の裁判で、ケララ最大の都市で当時はイギリス直轄下に置かれていたカリカットの判事は、「女性だけに権限があるというのは……じつに乱暴な考え方である」と述べたという。

女王に息子が生まれても王位を譲らなかった

女性が本来どのくらいの力をもつのが自然なのかという問題は、1810年にトラヴァンコール王国(訳者注:ケララ州南部に存在したヒンズー王朝)の女王ガウリー・ラクシュミーが即位した頃には、すでに持ち上がっていた。

女王は息子を出産すると、王位を息子に譲るよう求められたとマニュ・ピライは説明する。だが、女王は王位を譲ろうとせず、息子が統治できる年齢になるまで一時的に「摂政」という名の地位に就いた。それはほとんど意味のない称号だった。

イギリス当局が女王の権威を弱めようとしても、現地の人々は、彼女を正当な君主として当然のように受け入れ、女王の権威はなんら制限されなかった、とピライは指摘する。そして、それは女王の死後、その妹が王位を継いでからも続いた。

女王は公文書のなかで、通常はインドの藩王に与えられる称号である「マハラジャ」と呼ばれたほどだった。

父系制よりも男女が比較的平等な母系制のもとでは、「君主の性別はあまり意味をもたなかった」とピライは書いている。「重要なのは立場とその威信であって、国家や王家で最高の権威を振るう者がマハラジャとみなされた」。



変化はゆっくりと忍び寄ってきた

とはいえ、数十年が経つうちに、ナヤール族の家族観の変化を求める圧力が狙いどおりの効果をもたらすようになる。教育を受けた若い改革者たちは、過去との決別を望むようになった。どうやら自分たちの伝統が、外部の人から見ると、後進的な恥ずべきものに見えるらしいことに気づいたからだった。

一夫一婦制の結婚や小規模な家族は、近代的なものとして徐々に受け入れられていった。文学や芸術にも、社会での女性の立場についての考え方の変化が表れるようになった。文化が変容し、それに合わせて、人々の自己認識が変わっていったのだ。

現在、存続をかけて試行錯誤しているさまざまな母系社会と同様、当時のナヤールの母系大家族(タラヴァード)では、変化は激しい嵐のようにやって来たわけではなかった。変化はゆっくりと忍び寄ってきた。

母系大家族の終焉、一夫一妻制の採用

家庭内で誰を権力者と見るのが自然なのかについて、考え方が少しずつ変わっていった。植民地の支配層や熱心な宣教師の努力だけで変わったわけではない。現地の人たちの支持もあった。新しいやり方のほうが有利になると考え、共同世帯の終焉を、家族の権限、財産、富の一部を手に入れるチャンスだと歓迎する者たちがいた。


ジェンダー規範の変化には、法律の後押しもあった。アルニマによると、1912年には、トラヴァンコール王国で新しい法律が制定され、母系的な要素が薄まる。これは、今までは簡単に終わらせることができた男女のパートナーシップを、一夫一妻制の法律婚の枠に当てはめようとするものだった。

新たに夫という立場を得た男性は、それまでは自分の母親の家族と共有していた財産を、自分の妻や子どもに譲ることができるようになった。妻は離婚後に養育費を受け取ることができたが、それは「不貞行為」をしていない場合に限られた、とアルニマは言う。つまり、従来女性に認められていた性的自由は、事実上なくなったのだ。

変化はゆっくりと少しずつ起こったが、それが次第に積み重なっていった。やがて、インドがイギリスの支配から独立して数十年が経った1976年に、母系大家族(タラヴァード)にとどめが刺された。その年、ケララ州議会は母系制を完全に廃止したのである。

20世紀の末になると、かつて母系家族が暮らした広大な家屋は、荒れ果ててしまった。状態のよいものは売却され、取り壊されたものもあった。デリー大学の社会学者で、ケララでフィールドワークを行ってきたジャナキ・アブラハムは、その頃には母系大家族(タラヴァード)がほぼ完全に崩壊したと指摘する。

アンジェラ・サイニー『家父長制の起源』(集英社コモン)
アンジェラ・サイニー『家父長制の起源』(集英社コモン)

高齢の人たちは、昔は子どもを含む大勢の家族が同居していたと懐かしみ、「時にはクリケットチームができるくらいの人数がいたんだ!」と言う。いまや現存する家屋には、「わずか数人の老人が暮らし、多くの家屋は施錠され、周りに草が生い茂り、荒れ果てていた」。

ケララにおける母系社会からの移行は、心の痛みを伴いながら、1世紀以上をかけてゆっくりと進んだ。原因は1つではなく、必然でもなかった。

移行が終わりを迎える頃、人々は初めて失ったものの大きさに気づいたのである。


https://president.jp/articles/-/87959?page=1

2024年11月10日日曜日

「CHANGE OR DIE」

配信

だからユニクロは「大企業病」にならなかった…柳井正が2011年元旦に流した全社員メール"過激な言葉"の背景

ニースのアイコニック・センターにあるユニクロのロゴ(=2024年5月27日、フランス) - Beata Zawrzel/NurPhoto/共同通信イメージズ

ユニクロが大企業病にならず、成長を続けられるのはなぜか。ファーストリテイリング元執行役員の宇佐美潤祐さんは「柳井さんは毎年元旦に、全社員宛に1年間の方針をメールで流す。2011年に伝えた言葉はユニクロが社員に求めるものを象徴していた」という――。

※本稿は、宇佐美潤祐『ユニクロの仕組み化』(SBクリエイティブ)の一部を再編集したものです。


 ■2011年元旦に全社員に送られたメッセージ

 リーダーの仕事は「仕組み化」です。新しい仕組みをつくったり、仕組みをアップデートしたりすることこそがリーダーの仕事で、それ以外は部下の教育を除けば、言葉は悪いですが雑務といっても言いすぎではありません。 

幹部クラスでしたら「どうすれば組織全体を変える仕組みをつくれるか」について考える必要がありますし、小規模のチームでも「チームにどういう仕組みがあればチームを変えられるか」を考えなければいけません。

 ユニクロ(ファーストリテイリング)ではリーダーだけでなく働いている人ひとりひとりに「変革」を求めます。それを最も象徴している柳井正さんの言葉があります。

 「CHANGE OR DIE」

 柳井さんは毎年元旦に、全社員宛てに一年間の方針をメールで流します。
「CHANGE OR DIE」は、2011年の方針です。「元旦からとても過激な言葉だな……」と思われるかもしれませんが、この言葉は柳井さんなりの社員へのカンフル剤だったのでしょう。

 当時の業績は、08年秋に世界を襲ったリーマンショックから回復傾向にはありましたが、芳しくありませんでした。業績は経営陣の責任ですが、柳井さんとしては「働いている人全員に責任がある」という事実を徹底的に認識してほしいという思いがあったそうです。

 ■ユニクロが大企業病にかかってしまう懸念

 全員が失敗を認識し、自らの仕事を抜本的に変革し、新しい現実に対応していかなければ生き残れない。ひとりひとりが変わらないと世界と戦っていけない。そんな危機感から発せられた言葉なのです。

 すでにこのころ、ユニクロは海外にも進出する大企業になっていました。地方発の中小企業として始まり、グローバル化とは縁遠いと思われていた小売りという業態でしたが、SPA(製造小売業)で大成功を収め、グローバルに事業を展開していました。

 当時、店舗ごとの売り上げでも日本の店舗がすでに一番ではありませんでした。1位がパリ、2位がニューヨーク、3位が台湾、4位が銀座……と続いて、上位10位のうち、海外店舗が半分を占めていました。

 それだけに、柳井さんの中にはユニクロが大企業病にかかってしまう懸念もあったでしょう。「CHANGE OR DIE」はそうした文脈から発せられたともいえます。私は大卒後、大手損保会社に勤めた後、米国留学を経て戦略コンサルティング業界で約20年働いていました。それから、ユニクロの経営者・人材育成機関(FRMIC: Fast Retailing Management and Innovation Center)の担当執行役員として入社しました。


■1989年末の時価総額ランキングではトップ5が日本企業 

  コンサルタントとして多くの企業を見てきましたが、成長しない企業は不活性化していきます。どんどん弱っていきます。 

  そうした状況を避けるには成長し続けるしかありません。そのためにはこれまでの自社のあり方を自己否定しても、変わり続けなければいけません。ただ、これが簡単ではありません。多くの企業は過去に成功したビジネスモデルに縛られ、成功が大きければ大きいほど今までのやり方を変えるのは難しくなります。過去の栄光を捨てられないのですが、捨てなければ衰退します。

  まさに企業経営は柳井さんの言葉通り「CHANGE OR DIE」なのです。どれほど変化するのが難しいかを物語るのが、企業の時価総額ランキングです。バブル景気が絶頂を迎えていた1989年(平成元年)の年末の段階では世界のトップ5を日本企業が独占していました(1位から日本電信電話〈NTT〉、日本興業銀行〈現・みずほフィナンシャルグループ〉、住友銀行〈現・三井住友フィナンシャルグループ〉、富士銀行〈現・みずほフィナンシャルグループ〉、第一勧業銀行〈同〉の順です)。 

  では、2024年7月現在はどうでしょうか。トップ5に1社も日本企業がいないどころか、トップ10にもいません。30位台まで下るとトヨタ自動車を何とか確認できる状況です。

 ■成功体験が足かせとなり、次の波をつかみ損ねる 

  これは「イノベーターのジレンマ」と呼ばれる現象で、「成功の復讐」あるいは「経路依存性」ともいわれます。特定の技術や事業モデルでの成功体験が足かせとなり、次の波をつかみ損ねるという、勝ち組によくある落とし穴です。

  成功を収めたことで、従来の延長線上で何とかしようとすればするほど打つ手は狭まり、変革は起こせず、停滞します。リスクを恐れて、新しい大きな目標を打ち立てず、「前年比○%増目標」のような安全運転をしていれば達成できる目標しか掲げなくなります。

  当然、世の中があっと驚くようなサービスや製品は生まれにくくなり、少しずつ衰退していきます。日本企業の凋落ばかり指摘しましたが、世界的な大企業もこのワナにはまっています。

  たとえば「写真フィルムの巨人」といわれた米国のイーストマン・コダックは、デジタル化に乗り遅れて法的整理に追い込まれました。また、かつて世界最大の自動車メーカーだったGM(ゼネラルモーターズ)も燃費の悪い大型車が生む利益に頼り、小型車シフトや環境技術など市場の変化の波に乗り遅れて、破産法を申請しています。

■企業の成長と衰退は常に紙一重 

  アナログ携帯電話で大成功したために、デジタル化の取り組みが遅れたモトローラも、典型的な「成功の復讐」にはまってしまった企業のひとつでしょう。一方でGE(ゼネラルエレクトリック)は、祖業はエジソンが発明した白熱電球ですが、現在、GEの売上高に占める白熱電球の比率はほとんどありません。中興の祖であるジャック・ウェルチ氏による経営改革で、事業ポートフォリオの見直しに成功しました。金融業と製造業の複合経営は世界中の製造業のお手本になりました。

  ただ、GEは今、その複合経営が行き詰まり、電力タービンや医療機器などの製造業に専念しています。企業の成長と衰退は、常に紙一重なのです。こうした「成功の復讐」のワナを、柳井さんは当然熟知しています。ユニクロが目指しているのは「イノベーターのジレンマ」とは無縁の企業です。自己否定を恐れずに変わり続ける企業です。

  過去に成功したのはそのときの製品やサービス、戦略が環境に適合していたからに過ぎません。環境は常に変わるわけですから、企業も常に変革を起こし続けなければいけないのです。

 ■社員の変革を実現できるのは唯一「仕組み」

  だから、変わり続ける。それも、経営陣だけが変革を叫んでも限界があります。カリスマ経営者が変革を起こせたとしても、それでは持続性がありません。その経営者が去ったらおしまいです。

  だから、ひとりひとりが変わり続けなければいけないのです。誰かに依存せずに、みんなが経営者の意識を持って仕事に臨まなければいけません。組織の成長は、そのひとりひとりの「変革」の力の総和にかかっているわけです。

  もちろん、「変革を起こせ」「ひとりひとりが経営者の意識を持て」とただ叫んだところで、あまり実効力は上がらないでしょう。そこで、実践させるのに必要になるのが仕組みです。

  まず、目標を高く設定します。たとえば、柳井さんは「グローバルでナンバーワンのアパレルブランドになる」とよく宣言しています。今はスペインのインディテックス(ZARA)、スウェーデンのH&Mヘネス・アンド・マウリッツ(H&M)に続いて3位です。単純に売り上げだけで比較するとインディテックスはユニクロの約2倍で5兆円以上の売り上げがあります。正直、少し遠いですね。まさに大きな変革を起こさないと届かない距離感といえます。

■目標達成が見えてきたら、さらに高い目標を掲げる

 ここで有効になるのが「3倍の法則」です。これは本書の第3章で詳しくお伝えしますが、ユニクロはイノベーションをドライブするために一定の目標達成が見えてきた段階で、現状の3倍程度の高い目標を掲げ、その実現のために10年がかりでのイノベーションをテコにした変革を果たしてきています。

 過去の成功体験のしがらみにとらわれることなく、さらなる成長を目指すのです。2023年度の売上高は約2.7兆円ですが、3兆円が視野に入ってきたところで、柳井さんは2023年に第4の創業・10兆円構想をぶち上げました。壮大な目標に映るかもしれませんが、この壮大な目標が変革には効果的です。

 人間は現状維持で満足しがちです。企業で働いていて目標を立てるとしても、現状を少し改善した程度になりがちです。前年度の取り組みを効率的に回して、前年度比で数%でも伸ばせば評価される企業が大半です。ただ、それでは持続的な成長にはつながりません。

 たとえば、「3兆円を3.5兆円にしなさい」と言われたら、今の延長線上で達成可能に思う人が大半ではないでしょうか。

 一方で、「3兆円を10兆円にしなさい」となると、根本的に考え方を変えないと絶対に実現が難しいと考えるはずです。ちょっとした改善策では不可能だと誰もが感じます。

■常識外れの高い目標が変革を生み出す

 このマインドチェンジこそが狙いです。目標が壮大であれば、現状に満足することなく、試行錯誤する方向に意識が傾きます。自ずと、大胆なアクションを計画して試み、変革を起こす可能性も高まるというわけです。

 これは米国のグーグルの「10X(テンエックス)思考」に似ています。これは社員にゼロベースでの思考を促すために、現状の数値に「0」を1つ足した目標(=10倍)を実現するにはどうやるかを考えさせる仕組みです。もちろん10倍の数値がそのまま目標となるわけではありませんが、「経路依存性」ともいわれる過去の成功体験に縛られないアウト・オブ・ボックスの発想を行うためには常識では、考えられない高い目標を掲げることが有効です。

 人間は環境に左右される生き物です。そうせざるを得ない状況に身を置けば、意識は変わります。高い目標を掲げることでそうした環境を整え、ひとりひとりが変革を起こす仕組みをつくっているのです。その仕組みが、グループ全体を底上げして、ユニクロの急速かつ持続的な成長を支えています。



---------- 宇佐美 潤祐(うさみ・じゅんすけ) UNLOCK POTENTIAL代表取締役CEO 東京大学経済学部卒業。ハーバード大学ケネディ大学院修了(政策学修士)。アーサー・D・リトル経営大学院修了(経営学修士、首席)。 1985年に東京海上に入社。米国留学を経て、戦略コンサルティング業界へ。ボストン コンサルティング グループ(BCG)ではパートナー、組織プラクティスの日本の責任者を務め、Organization Practice Awardを受賞。その後、シグマクシスを経て、2012年から2016年の間、ファーストリテイリングの経営者育成機関FRMIC担当役員を務めた。その後アクセンチュアの人材組織変革プラクティスのジャパン全体の責任者を経て、リード・ザ・ジブンを起点にした人材組織変革を手掛けるUNLOCK POTENTIAL(「人と組織の可能性を解き放つ」の意味)を設立。デジタルトランスフォーメーションにともなう人材組織変革、経営者人材育成、経営チーム変革、組織風土変革、新規事業創出等のコンサルティングおよび研修・講演を行なっている。 ----------

UNLOCK POTENTIAL代表取締役CEO 宇佐美 潤祐

https://news.yahoo.co.jp/articles/fa76d0b265ce30532b6b9e904814e3185e55bb49?page=1

2024年11月3日日曜日

釧路市など運営、経営相談の成果は 件数堅調、求められる「目に見える効果」<アングル>

釧路市など運営、経営相談の成果は 件数堅調、求められる「目に見える効果」<アングル>


 古市優伍 、菊池圭祐 会員限定記事 
2024年11月2日 22:00(11月2日 22:01更新)


釧路市などが運営し、企業の経営相談などに応じる市ビジネスサポートセンター「k―Biz」(ケービズ)を巡り、売り上げ増や雇用増への貢献度が見えにくいとの指摘が出ている。

相談件数は堅調に推移しているものの、同センターの運営費は本年度から市の全額負担となった。市議会から「市民に分かりやすく成果を示すべきだ」との声が上がる。

「保護者にもアプローチできていますね」。
ケービズの澄川誠治センター長(44)は10月上旬、同市内で個別指導塾を経営する月見和史さん(53)の相談に応じていた。
月見さんは、2018年のケービズ開設直後から、ほぼ毎月相談に訪れており、「相談を重ねるごとに事業計画が具体化され、経営の悩みを気軽に話せる」と喜ぶ。

ケービズは市や釧路商工会議所、金融機関など10団体による協議会が開設。アドバイザー3人が1回1時間の無料相談に回数無制限で応じるのが特徴だ。
相談内容は新商品の開発や情報発信、販路拡大などで、開設から23年度末までに115社が利用し、相談件数は延べ1万238件に上る。
相談の予約は2、3週間待ちと人気で、澄川センター長は「釧路の経営者らに『右腕』として認識してもらえている」と胸を張る。 

ケービズの運営費は約5千万円。開設から23年度までの5年間、50%を充当してきた国の交付金は昨年度で終了し、本年度からは全額市の負担となった。

これにより、市議会はケービズに対し、市の全額負担に見合う「目に見える効果」を求めるようになっている。
ケービズが今年3月、開設以来5年間の成果を利用者に尋ねたアンケートでは、「相談して良い変化があった」との回答は8割に上ったものの、「売り上げが上がった」は3割、「雇用増や創業につながった」は2割弱にとどまった。
市商業労政課は「売り上げや雇用増は経済情勢の影響を受ける。ケービズの効果を正確に把握するのは難しい」と理解を求める。

だが、ある市議は「運営費の5千万円は高額。相談を通じてどういう成果が出たのか、分かりやすく示す必要がある」と指摘。
別の市議も「アンケートで売り上げ増が3割というのは5年間の効果としては低い。無料で相談を受けられるのであれば商工会議所と同じだ」と疑問を呈する。
10月27日の釧路市長選で初当選した鶴間秀典氏(50)は同8日の公開討論会で、「地域の企業を育成する必要がある」と述べた。中小企業対策に注力する考えを示したものの、ケービズについて言及はなかった。
釧路公立大の東裕三准教授(地方財政論)は「釧路では経済活動そのものが衰退の一途をたどっている。公費が投入されている以上、税金の額に見合う取り組みかどうかを見極める必要がある」と話している。

https://www.hokkaido-np.co.jp/article/1083548/?fm

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